ハスキーボイスと、個性的な歌い方から生まれるメリハリの効いたスウィング感が特徴。 クリス・コナー、ジューン・クリスティらと並び、スタン・ケントン・オーケストラが輩出した女性歌手(「ケントン・ガールズ」と言われる)の1人であり、1950年代から1960年代に成功を収めた。
1939年、ダウンタウン・シカゴのクラブに雇われ、クラブシンガーとなり、好評を博す。1941年、評判を聞きつけたジーン・クルーパは、自らの楽団の専属歌手としてアニタを雇う。同年ロイ・エルドリッジとともに歌った"Let Me Off Uptown" などがヒット。同年、ダウン・ビート誌はアニタを「ニュースター・オブ・ザ・イヤー」に選出する。1942年にはダウン・ビート誌が行った優れたバンド歌手を選ぶ人気投票により、アニタは4位に選ばれる(ヘレン・オコネルが1位、ヘレン・フォレストが2位、ビリー・ホリデイが3位、ダイナ・ショアが5位だった)。しかし1943年、ジーン・クルーパがマリファナ所持の疑いで逮捕された(冤罪である)ことをきっかけに楽団は解散。アニタは1年に満たない期間ウディ・ハーマン楽団へ身を寄せる。1944年にはスタン・ケントン楽団の専属歌手となり、"And Her Tears Flowed Like Wine"をミリオンヒットさせるが、数ヶ月で退団。再結成されたジーン・クルーパ楽団へ戻る(1946年に退団)。1945年、ダウン・ビート誌はアニタを「ベスト女性バンド・ヴォーカリスト」に選出。