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ARTIST
作曲家、ピアニスト、バンドリーダー
生年月日 :
1899年4月29日
生まれ :
アメリカ合衆国 ワシントンD.C
死亡 :
2002年9月17日, アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ピッツバーグ
死没 :
2009年8月29日
父親は、著名な白人医師ミドルトン・カスバートの執事であり時々ホワイトハウスへの仕出し業も行っていた。小学生の頃からピアノを習い始め、ハイスクールでは校内のパーティでピアニストとして活躍していた。同時期に音楽教師から高度な作曲理論を学び(「私の音楽に対する勉強は、GフラットとFシャープの違いを学んだことからはじまった」という言葉は有名)、1916年にピアニストとしてデビューした。その後ニューヨークに進出し、1927年にニューヨーク市マンハッタン区ハーレムにて高級ナイトクラブ「コットン・クラブ」を経営していたアイルランド系ギャングスターのオウニー・マドゥンが、友人のユダヤ系ギャングスターのブー・ブー・ホフに頼み、デューク・エリントンとバンド契約に至る。1930年代から第二次世界大戦後にかけて『A列車で行こう』(作曲はビリー・ストレイホーン)など、音楽史に残る様々な作品を世に出した。1964年に新潟市で新潟地震が発生した際に日本公演を行っていた。地震の被害を知ったエリントンは次に予定されていたハワイ公演の予定をとり消して東京厚生年金会館にて震災に対する募金を募ったコンサートを開催した。その後コンサートの純益である96万円が新潟市に贈られ、再来日した1966年には新潟市より国際親善名誉市民の称号が贈られた[1]。エリントンが亡くなった現在でも彼が立ち上げたオーケストラは存続しており、2008年にも日本公演をしている。2009年、コロンビア特別区から、エリントンとピアノをあしらった25セント記念硬貨が発行される。アフリカ系アメリカ人が硬貨に描かれるのはこれがはじめて。
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