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ARTIST
歌手
生年月日 :
1924年3月27日
生まれ :
アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアーク
死没 :
死没 1990年4月3日(66歳没)
ソプラノからコントラルトまで幅広いレンジに、美しいヴィブラートの掛かった、オペラ歌手にも匹敵する幅広い声域と、豊かな声量を兼ね備え、大胆なフェイクやスキャットを取り入れた歌唱力をも持ち味とした。ジャズ・ボーカル史上ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人と言われている。
1940年代にデビュー。1947年に"It's Magic"が初めてのヒット曲となり、大型新人として注目を集めた。歌手でトランペッターのビリー・エクスタインに影響を受け、当時最先端のモダン・ジャズであったビバップのスタイルを歌唱に活かした、モダン・ジャズ・シンガーの先駆者である。
1954 - 1959年にはポピュラー傾向のあるものをマーキュリー・レコードに、ジャズ方面ではそのサブ・レーベルエマーシー・レコードに膨大な数の録音を残し全盛期を迎える。この頃の代表作はWith Clifford Brown、カウント・ベイシー・オーケストラと共演したNo Count Sarahなど。
ジャズに留まらない幅広い音楽性を持ち、ポップスにも挑戦して1950年代には"Whatever Lola Wants"や"Broken-heated Melody"などいくつかのヒット曲があるが、商業的に大きな成功を得るには至らず、通俗性ゆえに批評家からは冷淡な扱いを受けた。
1960 - 1963年にルーレット・レコードに移籍するが、1963 - 1967年には再びマーキュリーと契約した。この時期にはビートルズのカバーや、1965年に発表し日本では特に知られている"A Lover's Concerto"(ラヴァーズ・コンチェルト)も発表した。
1967年 - 1971年には、レコード契約がない不遇な時代を迎えたが、この時期のライブ録音が死後にCD発売されており、ボーカリストとしての能力は決して衰えを見せなかった。1971 - 1975年には、メインストリーム・レコードと契約。依然として、カーペンターズ(『雨の日と月曜日は』)やマーヴィン・ゲイのカバーなどポップな録音を残しているが、1973年9月に中野サンプラザで録音したLive in Japanは名盤の1つに数えられる。
1977年に、ジャズ界の著名なプロデューサーであるノーマン・グランツの誘いで、彼の運営するパブロ・レコードに在籍、円熟した歌唱をアルバムに残す。同年にブラジルを訪れ、アントニオ・カルロス・ジョビンやミルトン・ナシメントらトップ・ミュージシャンと共演したI Love Brazil!、1981年のカウント・ベイシー・オーケストラとの共演盤Send in the Clowns(スティーヴン・ソンドハイムによる表題曲が、晩年までサラの代表曲の一つとなった)、パブロでの最後のアルバムで初めてセルフ・プロデュースを行った、1982年の「枯葉」(原題:Crazy & Mixed Up)などの名盤を残し、晩年までジャズの女王の名を縦(ほしいまま)にした。一方1981年には、ポップなアレンジで全曲ビートルズのカバーで構成したSongs of the Beatles(アトランティック)もリリースしている。またマイケル・ティルソン・トーマスの誘いでジョージ・ガーシュウィンの作品を集めたコンサートを行い、1981年にエミー賞を受賞、トーマスとロサンジェルス・フィルハーモニックとの共演で、1982年に発売されたライブ盤Gershwin Live!(コロムビア)はグラミー賞(最優秀ジャズボーカル賞)を獲得した。
1980年代中盤以降も精力的なライブ活動を行ったが、継続的なレコード契約がなく、1987年のアルバムBrazilian Romanceが最後の作品となった。1989年には、クインシー・ジョーンズのアルバムBack on the Blockに参加している。
1990年に肺がんで亡くなった。
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